この論文の目的は哲学そのものを紹介するために、比較的ポピュラーなニュートンについて、近代科学の金字塔である彼の『プリンキピア』の「一般的注解」を解説しました。
もちろん、哲学の専門家の手になる哲学そのものは、たとえばライプニッツを待たなければなりません。もし近世哲学の路線上のそれについてであれば、その当否はともかく、カントを待たなければなりません。
プラトンの「線分の比喩」以来の哲学そのものの伝統が、近世以降、とくに科学者たちによって忘れ去られ、消されてきたために、ここに改めて、ニュートンという17世紀の巨人について、その哲学そのものを見てみようということです。
本文中、ニュートン自身の使用する「哲学」という用語は「哲学そのもの」とは異なります。「(自然)科学」の意味が主となっていることに注意しましょう。